【投稿24日目】盲目の幸せ

24日目
拾い絵です。



平穏無事な日常のなかでは、

わたしたちは見えているのに、
見えていない、


聞こえてくるのに
聞こえていないということが
たくさんある。


何か困難な問題が生じたとき、

不幸な事態に直面したとき、

はじめて見えてくること、
聞こえてくることがある。


苦しさが自分と
向き合うきっかけになる。


~~~

困難や問題があるお陰で、
大切なことに気づける。


楽しんで困難や問題に
取り組んで行くことが、
大切です。


その先には、成長か成功しかないのですから


出典

[幸福コンプレックス]

中嶋 真澄 著

幸せな時、満足している時
それは盲目である。
(盲目とはなにも見えていないこと)

僕が思うに満足や幸せは
盲目から来る。

何かに夢中になれる時、そのために
1日をやり切った時のことを
充実という。

今、自分が置かれている現実に
あぐらをかいてこれ以上、
未来を見ないようにすることを
満足という。

守るものが生まれて
その優先順位が一番になり
それが達成できている現実を
幸せという。

どれも、とても重要です。

僕が今回言いたいのは、
充実のない満足や幸せは
それは盲目であるということ。

悪く言えば現実逃避である。

人は現実逃避すれば
いくらでも幸せになれる。

「大学生の現実逃避」
家で当たり前のように暮らせること
ご飯が出て来ること
バイト代を自分のためだけに使えること
など

「社会人の現実逃避」
経費を出してもらって働かせてもらっていること
上司が怒ってくれること
税金を払えていること
など

「一般的な現実逃避」
ご飯を食べてもお腹を下さないこと。
お店でカバンを置いたままトイレに行けること
女性が夜道を歩けること
など



本来、我々日本人が取り組むべき課題は
たくさんある。

大学生の方、
もしあなたの目の前に
親がいなくて学費を精一杯貯めて
大学に通ってる人がいたら、
あなたはその人の目の前で
胸を張って堂々と
大学の授業をサボれますか?

社会人の方、
目の前にホームレスの人がいたら
仕事だるい、会社めんどくさい、
そんなことが胸張って言えますか?

多くの人に言えること、
自分の家族が貧困地域に3年間いるとしたら
飲食店で食べ物を残したり、
水を無駄遣いしたりしますか?!


そう、
多くの物事を他人事にしてしまえば
日本人は全員幸せなのである。

悔しいことも、悲しいことも、
求めなければ幸せだと思い込むこともできる。

けど
それは盲目だ。


本当の幸せは
苦難を知り苦労を知り辛い思いを知り涙を飲み泥を啜りその中で多くの有り難みに気づける。

思い込みではなく
盲目ではなく、自分の肌で感じられる幸せは
そこにしかない。


楽して稼いだ金で食う飯より
ドラマがある金でメシを食うから美味い!


自分のために使った金より
誰かと起こすドラマのためや
誰かを喜ばせるために使った金の方が
はるかに幸せ。


でも、苦難や苦労を知らない人は
きっと現実から目を背け
今いる場所から出ようとはしない。


まるで井の中の蛙のように。


どこかでまだ不満や不安を感じているなら
あなたは変われる。

まだ、井の中から出られる。


けれども、それを全て受け入れてしまった時
あなたはその井の中からは
もう出ることはできない。


それが歳をとるということだ。



まだ、あなたの中に
かすかに燃える火があるなら
もう一度点火しよう。

まだ、燃えるうちに
燃やして燃やして燃やしまくって

そして、あなたがもう自分の中に
燃やすものがないと思ったら
誰かの中にある火を付ける人になれば良い。


それが人を応援するということだ。

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僕もまだまだ燃やせる燃料だらけだ。

不完全燃焼の燃料達と共に
この世界に大火を放ち、その火を
広げていきたい。

湿気ってる奴らも全員
覚悟しておいてください。